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神戸地方裁判所 平成2年(ワ)372号 判決

原告

田辺武雄

右訴訟代理人弁護士

分銅一臣

被告

社会福祉法人陽気会

右代表者理事長

松端利昌

右訴訟代理人弁護士

木村奉明

西垣昭利

主文

一  原告と被告間に雇用契約が存在することを確認する。

二  被告は、原告に対し、平成元年一一月二三日以降、毎月二五日限り、一か月金二九万六二九〇円の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

本件は、社会福祉法人である被告の従業員(指導員)であった原告が、被告に雇用された際の経歴詐称及び被告開設の施設で発生した火災の際の原告の同施設収容者に対する救助活動等の不適切等を理由に、被告から平成元年一一月二三日到達の書面で懲戒解雇処分(以下、「本件処分」という。)を受けたため、原告が被告に対し、雇用契約の存在確認及び賃料の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  被告は、昭和三三年九月一日、児童福祉法に基づく収容定員四〇名の精神薄弱児収容施設「おかば学園」として設立され、その後社会福祉法人に組織を変更するとともに、新たに精神薄弱者授産施設「陽気寮」(定員四〇名、昭和四六年からは六〇名、以下、「陽気寮」という。)を開設し、次いで、昭和四四年一月一日に現名称に改称し、さらに、昭和五〇年七月に精神薄弱者更生施設「よろこび荘」(定員四〇名)を、昭和五八年四月に通所授産施設「みのたに荘」(定員五〇名)をそれぞれ開設し、平成元年一一月当時(本件処分当時)の職員数は、施設長四名、事務職員六名、指導員、保母、寮母、栄養士及び調理員約八〇名、合計約九〇名であった。

2  原告は、昭和三三年九月一日、被告に児童指導員として雇用され、陽気寮開設とともに同寮の指導員となったが、その後、被告代表者理事長松端利昌(原告の姉の夫で、原告には義兄に当たる。以下、「松端」という。)の助言で、原告の妻の郷里である高知県で社会福祉法人を設立するために、昭和四一年一二月三一日、被告を退職し、翌四二年四月一日、高知県播多郡大方町において社会福祉法人大方学園(その後「土佐七郷会」に名称変更、以下「七郷会」という。)を設立し、その理事長に就任するとともに、七郷会が開設する精神薄弱児収容施設「大方誠心園」の施設長(園長)を兼務した(なお、その後、原告は、高知県の係官から施設長が理事長を兼ねるのは好ましくないと指摘されたため、理事長職を退いて理事兼施設長となった。)。

3  ところが、原告は、昭和五四年五月に右大方誠心園の職員が園生を軽四輪トラックの荷台に乗せて運転中、右トラックから園生が転落して死亡するという事故が発生した際、県や警察等に対し、園生が歩いていて自ら転倒したとの虚偽の報告をし、後に右虚偽報告が発覚したため、昭和五四年八月六日付けで役職を退き、平の指導員となった。さらに原告は、昭和五六年二月二三日、七郷会から停職処分を受けているが、その処分理由は、原告が、〈1〉昭和五四年八月ころ、七郷会の新施設建設のため七郷会と請負契約を締結していた個人の建設業者「岡建設」が建築資金の捻出のために、中村市農業協同組合に対し、右契約に基づく請負代金を債権譲渡する際、七郷会理事長印を冒用して債権譲渡承諾書に記名押印をした、〈2〉昭和五五年八月ころ、県に対し、七郷会の理事長等を誹謗する投書をした、というものである。

4  松端は、原告が前記のとおり被告を退職した後も、原告と義理の兄弟としての交際を続け、昭和五五年一〇月にその信仰する天理教関係の仕事で高知に赴いた際は、妻である原告の姉を伴って原告方を訪れ、原告宅で一泊している。

また、松端は、昭和五六年一二月一九日には、七郷会を訪れ、同会の理事長と会って退職に追い込まれようとしている原告のために執り成しをしようとしたが、結局、原告を被告が引き取ることになった。こうして原告は、七郷会を昭和五六年一二月三一日付けで退職し、昭和五七年一月六日ころから被告に指導員として再就職し、昭和六〇年四月一日からは、陽気寮の指導員に配置された。

5  昭和六〇年一二月、被告の従業員により陽気会労働組合が結成され、同月中に行われた第一回の団体交渉において、労働条件の変更、人事異動についての事前協議約款等の協約が締結された。なお、原告は、同組合の結成時には、会計担当の執行委員に就任しており、また、昭和六三年一月二〇日に同組合から被告に提出された要求書には、原告が執行委員長として表示されていた。

6  昭和六一年七月三一日夜、陽気寮二階西七号室の押入れ付近から出火して、陽気寮がほぼ全焼し、当夜原告が当直勤務者として安全指導等を担当していた寮生である西二号室のS(以下「S」という。)、西六号室のY(以下、「Y」という。)を含む寮生八人が逃げ遅れて焼死するという事故(以下、「本件火災」という。)が発生した。なお、陽気寮は、二階建で、当直室が一階に一室、二階に二室あり、当夜の当直勤務者は、笠井富美江(一階当直室)、若木千代子(二階南当直室)、原告(二階北当直室)の三名であった。

7  被告は、平成元年一一月二二日、原告に制裁処分書と題する文書を交付して懲戒解雇の通告をしたが、原告が右文書を受領しなかったので、翌二三日原告に到達した内容証明郵便で原告に再度懲戒解雇の通告をした。右制裁処分書には概略次のような処分理由が記載されている。

(一) 原告は、七郷会に勤務中に、3記載の虚偽報告の件で昭和五四年八月六日付けで施設長から指導員に降格され、また、3記載のとおり、理事長印の冒用及び理事長誹謗の投書をしたとして停職処分を受けたにもかかわらず、被告に再雇用される際に提出した履歴書に右降格処分及び停職処分を受けた事実を記載せず、これを秘して採用されたものであり、右原告の行為は被告の就業規則四七条四号に該当する。

(二) 被告は、施設事務費保護単価設定資料として兵庫県民生部障害福祉課へ提出するため、昭和六三年五月ころ、原告に提出を求め、同年一〇月初めころ、原告から高等学校卒業証書、七郷会における勤務証明書の提出を受けていたが、平成元年六月ころ、右勤務証明書に改ざんの跡を発見したので、直接七郷会に勤務証明書の送付を求めたところ、原告が提出した右勤務証明書の七郷会における停職処分の記載が抹消されていることが判明した。右記載の抹消行為は原告が行ったことが明らかであるところ、右行為は、有印私文書変造罪を構成し、被告に対する右文書の提出は同行使罪を構成するので、就業規則四七条八号(第三号に準ずる)に該当する。

(三) 原告は、本件火災の際、出火場所付近における初期消火活動及び寮生の救助活動を行った後、建物外へ避難したが、右避難時に陽気寮二階西二号室内にSが残留しているのを認識していたのに、避難直後に出会った松端らにその報告をしなかった。原告の右行為は、就業規則三八条一項に違反し、同四七条七号に該当する。

8  本件処分前においては、原告の賃金は毎月二五日に支払われており、本件処分当時の原告の賃金月額は二九万六二九〇円であった。

二  争点

1  経歴詐称関係

(一) 被告が原告を再雇用する際、原告が七郷会勤務中に一の3記載のとおり役職を辞任し(又は一の7の(二)記載のとおり降格され)たり、停職処分を受けた事実について被告の了知の有無

(二) (一)の懲戒処分等の処分理由の存否

(三) 原告による勤務証明書改ざんの有無

2  本件火災関係

(一) 原告の陽気寮二階での救助活動の有無

(二) 原告の嶋田らについての報告義務違反の有無

(三) 原告の人命軽視の態度の有無

3  本件処分の相当性及び不当労働行為該当性

三  争点に対する原告の主張

1(一)  被告は、原告が七郷会勤務中に、昭和五四年八月六日付けで施設長から平指導員への降格処分を受けたと主張するが、事実は、職員の死亡事故についての虚偽報告が明らかになってから、県の担当者とその件について相談したところ、責任をとる意味で一、二年間役職を辞任した方がよいということになり、原告が自ら役職を辞任したものであり、降格されたものではない。

したがって、降格処分自体が存在しないのであるから、何ら経歴を偽ったことにはならない。

(二)  七郷会勤務中に受けた停職処分については、その処分理由中の理事長印を冒用したとしている点は事実と異なっており、原告は事前に理事長から印章使用の承諾を得ていたものである。

(三)  さらに、原告は、被告代表者である松端と義理の兄弟の関係にあるところから、七郷会を設立する際にも、また、そこで処分を受けたこと等についても、その都度松端に相談しており、原告が被告に再雇用されることになったのは、松端から右処分を法的に争うよりも、被告に再就職してやり直せと言われたことがきっかけであり、被告は、原告が役職を辞任したり、停職処分を受けたことを知って再雇用したものであるから、経歴詐称の主張は失当である。

(四)  また、被告は原告が七郷会発行の勤務証明書を改ざんしたと主張するが、原告は、被告から勤務証明書の提出を求められた際、右書類を直接被告に送付するよう七郷会に依頼し、七郷会は、原告の依頼に応じ、右書類を直接被告に送付したものであるから、原告に右書類を改ざんする機会はなく、改ざんした事実も存在しない。

なお、被告の就業規則四七条三号は、懲戒処分事由として、「刑事事件に関し、有罪の判決を受けたとき」と規定しているところ、被告は、原告を有印私文書偽造で告発したと主張しているが、原告は、取調べはおろか、事情聴取さえ受けたことはないのであるから、原告に右条項に該当するような事実が存在しないことは明らかである。さらに、同条八号の「その他前各号に準ずる程度の不都合な行為を行ったとき」とは、当該労働者が不都合な行為を行ったことが明白に立証されたときを指すものと解すべきであるところ、本件では、前記のとおり、原告が改ざんしたことは全く立証されていないのであるから、同号にも該当しない。

2(一)  原告は、本件火災の際、可能な限りの救助活動を行っている。

具体的には、原告は、本件火災を発見した後、消火器を使用して消火を試み、さらに消火栓を使用しようとしたのであるが、水が出なかったうえ、数秒後には火柱が上がったので、消火を断念し、当時四二名もいた陽気寮二階の寮生を救助すべく、必死で寮生を起こして回り、部屋の外に引きずり出す等した後、煙が充満してきたため脱出したものである。

なお、陽気寮二階の寮生は、病状がAランクの重度障害者であるうえ、精神安定剤を飲んで熟睡していたので、右重度障害と薬の作用から、起こされても十分に覚醒せず、寝ぼけの状態で予期し難い行動をとることも十分あり得ることである。したがって、一旦外へ出されながら、危険を認識することができず、再び部屋の中に戻ってしまうというようなことも有り得ないことではなく、原告が外に連れ出したはずの寮生中に、部屋で死亡している者がいたからといって、原告の救助活動がなかったということにはならない。

(二)  西二号室のSに関する報告義務を怠ったとの点については、同人が同室に残っていることを原告が知っていたことが前提となるところ、本件火災発生後、陽気寮内は停電したうえ、煙が充満していたのであるから、寮生各人の状況を詳細に把握しうる状態ではなく、事実、原告は、暗闇と煙と混乱の中で、Sを含む寮生の残留状況を把握しえなかったのであり、このような状況の下で、原告に対してのみ報告義務違反を問うことは失当というべきである。

なお、松端自身も、陽気寮に駆けつけたときには、既に二階は煙で充満していたので、寮生の救助のため二階へ上がろうとしておらず、入口から出てきた原告に対しても、寮生の残留状況等についての質問は一切発してはいない。

(三)  本件火災については、当直勤務者の多くが組合員である日に、本来は火の気のないところから出火しているうえ、ブレーカーまで落ちていたことから、放火の疑いさえも持たれているところである。本件火災が八名もの死亡者を出すというような多大の被害をもたらしたのは、陽気寮の建物が木造建築で、何度も増改築を繰り返した継ぎ接ぎの建物であるうえに、建材にアクリル板を使用しており、避難設備が十分でなかったこと、二階には消火器が一本しか設置されておらず、屋内消火栓からも水が出ず、かつ、ポンプ室内の電源ブレーカーが切れていたうえ、ポンプ室の鍵を宿直室に置かず、理事長と保安係が所持していたため、ポンプを作動できなかったこと、松端の消防署への連絡が遅れたこと等、被告の防災対策上の落ち度に原因があり、こうした被告の責任こそ問われるべきであるのに、火災後三年も経過して、Sについての報告義務違反を取り上げて懲戒解雇事由とすること自体不可解というべきである。

3  原告は、陽気会労働組合の結成について、その中心的役割をはたし、結成後は、当初は会計担当執行委員として、昭和六一年一一月からは執行委員長として、労働条件の改善の努力をしてきた。

これに対し、被告は、原告や組合員らに対し、脱退を強要したり、差別的昇給や職場八分的な行為を繰り返した。

原告らは、本件火災後、県の指導もあって、被告の再建のため、一時組合活動を自粛していたが、再建のめどがついたと判断して組合活動を再開し、昭和六三年一月二〇日付けで要求書を提出するや、被告は、同月二七日、今までに例のない全員参加の職場集会を開き、原告ら火災当日の当直勤務者を前に並べて個人攻撃的追及をするとともに、その後の朝礼において、原告を取り囲んで、原告や組合を誹謗中傷した。さらに、昭和六三年二月二七日の朝礼において、松端は、原告に対し、〈1〉夜間勤務を免ずる、〈2〉公用車の運転を免ずる等の業務指示を行った。

そこで、原告は、右業務指示は不当労働行為に当たるとして、地方労働委員会に救済申立をしたところ、その審議中に本件処分がなされたのであり(右申立てについては、平成四年三月二日に救済決定があった。)、本件処分が原告の組合活動に対する嫌悪と労働委員会への救済申立に対する報復としてなされたことは明白であり、本件処分も不当労働行為に該当する。

四  争点に対する被告の主張

1  前記争いのない事実の7(一)、(二)記載の本件処分理由のとおり、原告は重大な経歴を詐称していたものであるところ、被告は、原告の勤務証明書改ざんを発見した平成元年六月ころまで、右経歴詐称を知らなかった。

なお、原告は再雇用に当たり、真実は高校中退であるにもかかわらず、高校を卒業したと申告しており、これも経歴詐称に当たる。

2(一)  神戸市消防局は、本件火災の発生及び原告ら当夜の当直勤務者が火災に気付いた時刻は午後一一時四〇分頃で、消防局に通報があった時刻は午前零時三分であり、火災の発生及び覚知から通報まで二三分もかかっていると認定しているが、右消防局の認定は、不確かな人の時間に関する記憶に、信用性を十分検討することもなく依拠したもので、誤っており、火災発生時刻はともかく、火災を覚知した時刻は一一時四〇分よりももっと遅く、午前零時の直前であったと判断されるから、原告にはその主張のような救助活動を行う時間的余裕はなかったはずであり、原告は、炎が天井まで立ち上がるのを見て、持っていた消火栓のホースを投げ出して、建物外へ避難したものと考えられる。

そして、右判断は、「原告が火災に気付いて西七号室に駆けつけて消火器で消火しようとしたときから、一気にタテ状に炎が天井まで立ち上がった状態を確認するまでの時間は、コンピューターシミュレーションから推定すると二分程度(消火により一時火勢が弱まった場合はその時間をとるとして)であり、その後は、西七号室はいわゆるフラッシュオーバー(火勢最盛期に入った状態)であり、その後は室内はもちろん廊下にいることも極めて危険である。」とした京都大学工学部寺井俊夫教授の別件訴訟における本件火災についての鑑定結果とも合致する。

(二)  前記のとおり、原告に救助活動を行う時間的余裕がなかったとすれば、被告は、原告が救助活動をしなかったことを非難するものではないが、原告には、消火活動を断念して脱出した際に、原告の責任範囲である陽気寮北側の寮生がどのような状態に置かれていたかを、遅滞なく被告代表者松端らに報告する義務があったというべきである。

しかるに、原告が何らの報告をせず、逆に真実は救助活動を行っていないにもかかわらず、これを行ったかの如く虚偽の申告をしたために、被告において火災問題に対する責任の所在の解明を困難にしたばかりでなく、松端らが保険金目当てに消防署への通報を故意に遅らせた等と被告の信用を著しく害するような虚偽の事実をその後流布したもので、原告の義務違反は明らかである。

そこで、被告としては、右報告義務違反を原告に対する本件処分の主たる処分理由として主張するものである。

(三)  被告のような重度心身障害者施設は、公費によって維持管理されているうえ、処遇の対象となる者は、自らの安全すら自分のみでは十分に確保し得ないばかりか、自らの意思すら外部に正しく表示することが困難ないし不可能な人たちであるから、これを処遇する施設で働く者は、経営者を含め、自己保身のために処遇者の安全性をないがしろにするようなことは、決して許されないことであるところ、前記1及び右(一)、(二)の記載の事実により明らかなとおり、原告は入所者の安全の確保より自己保身を常に優先させているのであり、被告のような施設の指導員としては全く不適格である。

3(一)  本件火災の発生から本件処分までに三年余りを要したのは、被告は当初から火災時の原告の行動を疑問視していたが、被告独自の調査には限界があって、十分な判定資料がなく、かつ、放火の疑いによる警察の捜査の帰趨を見守る必要もあり、さらに、被告が消防局作成の火災事故報告書(〈証拠略〉)を入手し得たのは、本件火災から二年余り経過した昭和六三年秋頃で、これを検討して原告の火災時の行動を確定し、これに対する処分を決定するには火災学上の知識が必要で、その習得にためにも時間を要したためである。そして、このように被告が処分を検討している間に、原告の経歴詐称が発覚し、かつ、原告には何らの反省がみられなかったので、本件処分に踏み切ったのである。

(二)  被告と陽気会労働組合との間に対立が生じたことはない。被告内部には労働争議もなく、労使間で解決しなければならないような具体的な問題点もなかった。原告は、昭和六三年一月二七日に開催された職員会議が組合攻撃のためのものであると主張するが、そこで取り上げられ、攻撃されたのは本件火災時の原告の行動のみであって、当夜当直勤務についていた他の組合役員に対するものは皆無であり、右会議は組合攻撃とは全く関係がない。原告は、被告がその後も火災時の行動の説明を求めたのに対し、「これ以上火災時のことを問題にするのであれば、人権擁護委員会へ申し立てる。」旨言明して強く反発したが、組合問題での対立は存在しなかった。

なお、被告が原告の夜間勤務と公用車の運転を免じたのは、原告が職員会議において、「メニエール病で(火災時の)細かいことは覚えていない。」と述べたため、職員中からメニエール病の人と一緒に宿直はできないとの声があがり、かつ、当局からも、メニエール病患者に公用車を運転させるのは不相当ではないかという指摘があったからである。

以上のとおりであるから、原告の不当労働行為の主張は理由がない。

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  前記争いのない事実に証拠(〈証拠略〉)を総合すれば、以下の事実が認められる。

松端は、前記争いのない事実2記載のとおり、原告が妻の弟という関係にあったところから、自己が代表者をしている被告に原告を勤務させたり、原告がその妻の郷里の高知県幡多郡大方町(以下、単に「大方町」という。)で社会福祉法人の七郷会(当初の名称は大方学園)を設立するのに協力する等いろいろと原告を支援したり、相談にのったりしていた。また、原告は、前記争いのない事実3記載のとおり、大方学園の園生の事故死について警察や県に虚偽の報告をしたことが原因で同学園の施設長を辞任して平の指導員になったが、その後の昭和五五年一〇月ころ、松端がその信仰する天理教関係の大会でその妻(原告の姉)を伴って高知に赴いた際には、松端らを空港まで迎えに行って、松端らを大方町所在の原告宅に泊めており、自らも、出張の機会などを利用して、被告や松端宅を訪れることがあった。

また、原告は、前記争いのない事実3記載のとおり、七郷会の理事長印を冒用したり、理事長を誹謗する投書をしたとして、七郷会から停職処分を受けているが、そのため原告らが大方町で生活してゆくのが困難になって、原告の妻が原告の姉である松端の妻に相談の電話をしたこと等から、松端は、昭和五六年一二月一九日に大方町を訪れて七郷会の理事長と会い、原告のための執り成しを試みている。しかし、それは結局成功しなかったので、松端は、原告とも相談のうえ、原告を神戸に呼び戻し、被告で再雇用することとし、原告は、昭和五六年一二月三一日付けで七郷会を退職して、同五七年一月から被告に再雇用された。

2  原告が七郷会勤務中に施設長から平の指導員になったこと及びその原因となった園生の事故死についての虚偽報告の件を原告から聞いて知っていたことは、松端が被告代表者尋問において認めているところであり(なお、被告は降格処分であると主張するが、虚偽報告の責任をとるためであったにしても、形式的には、前認定のとおり辞任である。)、この事実によれば、被告は、右の事情を知ったうえで、原告を再雇用したものというべきである。

3  そこで次に、原告の七郷会勤務中の停職処分及びその処分理由を知ったうえで、被告が原告を再雇用したかどうかについて検討する。

前認定のとおり、松端は、原告の義理の兄という関係にあり、少なくとも昭和五六年一二月に松端が大方町を訪れたころまでは、原告を支援したり、相談にのったりしていたのであり、原告においても、投書の事実以外の処分理由については、事実関係をそのまま認めていたのではないにしても、園生の事故死について虚偽報告をした事実及び七郷会の職員が債権譲渡承諾書を押印するため理事長印を使用する際、これに関与した事実は認めているのであるから、停職処分の理由となったこれらの事実を、原告が右のような関係にある松端に最後まで全く告げなかったとは考え難い。現に、そのうち虚偽報告の件を松端に告げていることは、前記のとおり、松端も認めているところである。

そして、昭和五六年に松端が大方町を訪れたのは、原告の妻から窮状の訴えがあったこと等が原因となっているのであるから、松端もその窮状の原因である停職処分の事実を聞き知っていたと考えるのが自然であり、また、停職処分を受けた事実を知りながら、その処分理由も聴かずに、処分をした七郷会と原告との間の執り成しを試みたり、一旦退職した者を再雇用したりするとは考え難いから、松端は、大方町に赴き、原告と七郷会と間の執り成しを試みるに当たり、当然、右停職処分の理由も原告から聴いて知っていたと考えるのが自然であり、その相手方となった七郷会の理事長が松端に当時の状況を何も告げなかったとも考え難い。

なお、当時、右停職処分の原因となった事実は、地元の新聞に大きく報道されており(〈証拠略〉)、原告においても、真相は違うと争っていたにしても、高知市から一〇〇キロメートル以上も離れた不便な土地である大方町(顕著な事実)まで原告のために来てくれた松端に、右のような事実が取りざたされていることを、ことさら隠さなければならないような理由があったことを窺わせる事情は見当たらない。さらに、松端自身も、その代表者尋問において、停職処分に関連して、「電話なり何かで話があったときには、自分の考えを言ったことがあるかも分かりませんけど、細かい具体的な点についての相談は受けておりません。」と原告が停職処分を受けた事実及びその処分理由の概略を知っていたことを肯定するような供述をしており、これらの点に前認定の事実を総合すれば、松端は、原告が停職処分を受けた事実及びその処分理由を知っていたものと推認される。

4  以上によれば、その原因となった事実についての認識が原告と七郷会とで多少異なる点があるにしても、何れにしても、被告は、原告を再雇用した当時、原告が七郷会在職中に施設長を辞任したり、停職処分を受けた事実及びその原因となった事実の大要並びに高校中退の事実を知っていたといえるので、原告が被告に再雇用される際に提出した履歴書に、これらの事実を記載しなかったとしても、これをもって就業規則四七条四号所定の懲戒解雇事由である「重要な経歴をいつわり採用されたとき」(〈証拠略〉)に該当する事実が存在したということはできない。

5  また、被告が本件処分の理由としている七郷会発行の勤務証明書を改ざんしたとの点についても、前記のとおり被告の代表者である松端が停職処分を受けた事実を知っており、その必要性があったとは考え難いのに、原告がコピーからでも改ざんの跡が容易に窺われるような杜撰な方法で(〈証拠略〉)改ざんしたとするのはいかにも不自然であり、原告が改ざんしたという事実自体を認めるに足りる十分な証拠があるとはいえない。

そして、仮に改ざんをしたのが原告であるとしても、原告はその事実について起訴されてもいないのであるから、就業規則四七条三号所定の懲戒解雇事由である「刑事事件に関し有罪の判決を受けたとき」(〈証拠略〉)に該当する事実があったということはできず、また、被告代表者の松端が停職処分を知っていたのであるから、右改ざんの事実をもって、直ちに就業規則四七条八号所定の「その他前各号に準ずる程度の不都合な行為を行ったとき」に該当する事由があると認めるのも相当でない。

二  争点2について

1  証拠(〈証拠略〉)によれば、本件火災前後の状況につき、以下の事実を認めることができる。

(一) 昭和六一年七月三一日夜、当夜の当直勤務者として陽気寮の二階西一号室から一〇号室を担当していた原告は、午後一〇時過ぎころ、最後の見回りを終えて当直室で一〇時四〇分ころから仮眠に入っていたところ、火災報知器のベルの音で目覚めたが、よくある誤報ではないかと考えて、ベルを止めに行くために廊下に出て、中央階段を降りようとした。そのとき、「煙が出ている。」という寮生の叫び声が聞こえたので、西七号室の前へ行ったところ、同室押入下段中央部に卵型の明かりがゆらぎ、白い煙が漂っているのが見えたので、火事だと判断し、東五号室前の壁に備えつけてあった消火器を持ってきて、右押入れに向かって放射したところ、一瞬暗くなった。しかし、それだけでは駄目だと思い、二階廊下に設置されている消火栓のホースを取り出して消火をしようとしたが、水が出ず、数秒後にはゴーッと火柱が上がったので、消火を断念し、後記のとおり、寮生の救助を試みた後、北側屋外階段から外へ避難した。

(二) 松端は、近くの自宅で就寝中、火事に気付いて知らせに来たよろこび荘の当直員の持っているトランジスターメガホンのサイレンと非常ベルの音で目覚め、右当直員から火事は陽気寮だと知らされて急いで同寮に駆けつけ、同寮の北側屋外階段から二階に入ろうとしたが(そのとき、右階段付近で原告と出会っている。)、煙と炎で中に入ることができなかった。そこで、引き返して職員室前の消火栓を使用しようとしたが、ホースのつなぎ目がはずれていて使用できなかった。そのころまでに、松端は、原告のほかにも数人の被告の職員に出会っているが、原告を含め、誰も寮生の残留状況を松端に報告した者はなく、松端も右職員らにそのことを尋ねてはいない。

その後、松端は、同寮南側で陽気寮の当直勤務者若木千代子が「K君、K君」と叫ぶ声が聞こえたので、そちらの方に向かい、南側階段から二階に上がろうとしたが、煙がひどく寮生のKを救出することはできなかった。しかし、その後松端は、梯子を使用して四号室のベランダにいた別の寮生を救出することに成功しており、また、近隣の人が逃げ後れて二階にいた寮生二名を発見して、別の近隣の家まで梯子を取りに行き、右梯子を使用してそのうち一名を救出している。

(三) 本件火災の通報が神戸市消防局に入ったのは、八月一日午前零時三分であり、零時一一分ころ、所轄の北消防署から消防車四台、救急車一台が到着して消火及び救助活動(ただし、救急隊員は煙と熱気のため結局陽気寮の屋内に入ることはできなかった。)に入り、その後も続々と消防車が到着して消火を行い、零時五六分ころ、火勢を鎮圧し、五時二九分ころ、鎮火したが、結局、本件火災により、陽気寮二階にいた寮生のうち、S、Yを含む八名の寮生(西二号室一名、西五号室三名、西六号室一名、西七号室二名、東二号室一名)が焼死した。なお、右焼死者のうち、西五号室の三名中の二名は同室のベランダで、西七号室の二名中の一名は西五号室のベランダで、他の一名は南側便所前通路で、東二号室の一名は同室ベランダで死亡しており、その他の寮生は自室で死亡していた。

2  右認定の各事実及び前記争いのない事実を前提に、争点2の(一)について検討する。

ところで、原告は、自己の救助活動について、大要「消火を断念した後、西七号室の三人の外、西六号室のY、西五号室の四人を次々に起こし、廊下まで出そうとした。二階西各号室の寮生は、重度障害者が多いうえ、当夜は皆、薬を飲んで熟睡していたので、なかなか目覚めず、廊下へ出そうとしても、また布団に戻ろうとする者もあった。原告が、西五号室を出るころには、電灯が全て消え、煙が二階に充満してきたため、這って西二号室まで行き、同室の寮生全員を起こしたが、Sの寝起きが悪かったので、とりあえず室内で座らせたままにして、他の寮生を室外に出した。その間に、同室にも火が迫り、煙が充満して来たので、避難した。」旨主張・供述し、神戸市消防局の調査の際や被告に対する報告書においても、ほぼ同趣旨の説明をしている(〈証拠略〉)。

他方、よろこび荘の当直勤務者であった清水照美は、昭和六一年九月八日付の被告に対する報告書において、「非常ベルの音を聞いて時計を見ると一一時四〇分であった。火災だと思って、陽気寮へ走って行き、二階へ上がる階段を三、四段上がったところで上を見ると白い煙が見え、四、五人の寮生とランニング姿の原告がバタバタと走り回っているのが見えた。その後、担当のよろこび荘へ戻り、入所者を避難させようとしたが、最初は皆、避難訓練と勘違いするなどして、目が覚めていても避難しようとはしなかった。」と述べている(〈証拠略〉)。

そして、右の清水照美の報告内容に、通常の場合は、火流が天井を舐め始めた時点には、その発煙量も増大し、出火室での行動は困難であるが、当夜は真夏の熱帯夜であったこともあって、西七号室の外部開口部の戸が開放されており、そのため煙のこもりが少なく、かつ、燃焼材が主としてラワン材であったこともあって、出火室における救出活動は、通常の場合に比べて余裕があったものと考えられるとした神戸市消防局の認定結果(〈証拠略〉)、及び、出火室である西七号室の三人がいずれも重度障害者であるにもかかわらず、一人が脱出し、死亡した二人も部屋の外の西七号室からかなり離れた別の場所で死亡していること(〈証拠略〉)に照らせば、原告は、まず、西七号室においてその主張供述するような救助活動を行ったものと認定するのが相当であり、その他の部屋における原告の救助活動の有無についても、出火場所から離れていれば、救助のための時間的余裕がより多くあったと考えられること、西五号室の一人、西二号室の二人は、いずれも障害者で、かつ夜間は精神安定剤を投与されて熟睡していたのであるから、何らかの働き掛けがなければ覚醒しないということも考えられるのに救助されており、そのうち、西五号室の寮生は自力でベランダに出て救助を求め、西二号室の寮生のうちの一人は自力で室外へ出ている(〈証拠略〉)ことに照らせば、原告の主張・供述は必ずしも不自然とはいえない。

なお、被告は、西六号室のYが布団の上で死亡し、同室の扉が閉じられていたことを、原告の救助活動がなかったことの根拠として主張するが、同人は極度の視力障害及び聴覚障害を持ち、かつ前述のとおり、薬を飲んで熟睡状態であったのであるから(〈証拠・人証略〉)、廊下に出されても、また元へ戻って寝てしまったと考えることもでき(原告本人によれば、西七号室でも何人かは布団に戻ろうとした事実が認められる。)、右事実から直ちに原告の救助活動がなかったと断定することはできない。

また、被告は、神戸市消防局が原告らによる火災覚知時刻を午後一一時四〇分ころと認定したのは誤まりであり、火災発生時刻はともかく、火災覚知時刻は、通報時刻である零時三分に近接した零時直前であり、原告の見た炎の状況からすると、原告には救助活動を行う時間的余裕がなかったはずであり、別件訴訟における鑑定結果もこれを裏付ける旨主張するところ、確かに現時点において、火災発生時刻及び原告らによるその覚知時刻や当時の各人の行動を厳密に認定することは極めて困難であるといえるが、前記の事情を総合すれば、火災覚知後、少なくとも数分程度の消火及び救助活動の余裕があったものと認められ、右鑑定結果も原告による救助活動の可能性を否定するものであるとはいえないから、原告にはその主張するような救助活動を行う余裕が全くなかったとの被告の主張は採用できない。

以上によれば、原告の陽気寮二階での救助活動については、その主張・供述のとおり、西七号室で火災を最初に発見した後、直ちに消火器等で消火活動を行ったが、結局消火はできず、火柱が天井まで上がったので、消火活動を断念し、以後西七号室を初めとして同六、五、二号室の寮生を次々と起こし、少なくとも廊下まで出したり、室内で起き上がらせることまでの救助活動はしたものと認めるのが相当である。

3  そこで、次に争点2の(二)について検討する。

(一) 確かに、原告は、前記認定事実のとおり、北側階段から脱出した後、松端と出会っているが、そのときに、西二号室のSの救出が完了していないことを松端に報告しておらず、また、前記のように、原告は、Sの他にも西七、六、五、二の各号室の寮生を起こす等の救助活動を行いながらも、起こした寮生が屋外への脱出するのを確認したのはそのうちの一部で、その他の寮生は寮内に残留している可能性があったのに、そのことを松端や他の職員らに全く報告していない。

しかし、煙が立ち込み、炎が迫ってくるという極限状態の中で、多数の者に対し、十分な救助活動を行うのは、極めて困難であるうえ、誰が脱出し、誰が残っているのかを逐一確認し、これを覚えているというようなことはほとんど不可能であるというべきである。

しかも原告担当の寮生は重度障害者が多く、また当夜はそのうちの多くが薬剤を投与されて熟睡し(〈証拠略〉)、起こしても十分に覚醒せず、寝ぼけた状態が続いて、室内に戻ろうとしたり、歩行ができなかったりして、収拾のつかない混乱が生じていたと考えられるから、寮生の脱出状況を正確に把握することはさらに困難であった考(ママ)えられる。そのうえ、前記認定のとおり、原告が西五号室を出るころには、電気も消え、煙が充満していたのであるから、十分な状況把握ができるような状況ではなかったと考えられ、このような状況下で、原告において、Sを含む担当寮生の状況を把握し、報告することがなかったとしても、原告に火災時における重大な報告義務違反があったとまではいい難い。

この点、被告は、前認定のとおり、若木千代子が「K君」と叫んで同寮生の残留を松端に告げたり、他の当直勤務者が報告を十分行っているのに、原告のみが寮生の状況について報告をしなかったと非難するが、他の当直勤務者の報告の程度は必ずしも明らかではないうえ、前認定の当時の状況に照らせば、報告を行った宿直勤務者がいたことを理由に、火元現場付近を担当し、最も緊迫した状況に直面していた原告を問責するのは相当でないし、現に原告の避難直後に同人に出会った松端も、陽気寮内に残留者がいるかどうかを原告や他の当直勤務者に尋ねていないことは前認定のとおりであるから、原告のみを非難するのも相当でない。

なお、仮に原告が陽気寮二階に残留した寮生について十分な報告をしたとしても、当時の状況からすると、これら寮生を救助することは極めて困難であった(被告は、原告の脱出後も二名の寮生が救出されたことをもって、他の寮生を救出する可能性がないわけではなかった旨主張するが、右二名の寮生は、救出される前に自力でベランダまで出て来たので、救助できたものと考えられる。)と考えられるから、原告が報告をしなかったことが多数の寮生の死亡につながったということもできない(前記若木が報告をした寮生Kについても、松端の救助活動は結局成功していない。)。

(二) さらに、被告は、原告が救助活動を行っていないのにこれを行ったかの如く虚偽の事実を申告し、本件火災に対する責任の所在の解明への協力や反省すら行うことなかったとして、本訴においてはこれを問題視し、最終的には、これをもって本件処分の最大の理由と位置づけるようであるが、前記認定のとおり、原告は、本件火災の際に一定の救助活動を行ったものと認めるのが相当であるから、被告の右主張は失当である。

なお、被告は、原告において、松端が保険金目当てに消防署への通報を故意に遅らせた等、被告の信用を著しく害するような虚偽の事実をその後流布したと主張し、本訴においては、この点をも本件処分の理由に加えたいとするようであるが、いずれにしても、本件火災のように発生直後からその原因の解明や責任の所在を巡り様々な紛争が生じ、かつ、原告自身の責任も被告らから追及されている状況下で、仮に原告が被告側の責任を追及するような発言等を行ったとしても、これを一方的に非難して、懲戒解雇をすること相(ママ)当でないというべきである。

4  次に、争点2(三)について判断するのに、以上認定のとおり、原告は、出火場所の担当者としてそれ相応の救助活動をしたというべきである。本件火災によって結果的には八名の死亡者が生じ、うち七名が原告担当の寮室の寮生であるが(弁論の全趣旨)、その原因は、原告の不十分な救助活動及び報告にあるというよりも、むしろ、たまたま出火場所が原告の担当する西七号室であって、火の回りも早く、他の当直勤務者の担当する寮室に比べ、救助に困難を極めたこと、消防への通報時には既に火勢が強くなっており、消防署の救助隊が到着したときには、既に救助は不可能であったこと、二階の寮生は重度障害者がほとんどで、しかも当夜は多くの者が薬剤を投与されて熟睡していたこと、陽気寮は燃え易いプリント合板、アクリル樹脂板を多用していたこと(〈証拠略〉)にあるというべきである。

したがって、本件火災によって生じた結果から、直ちに、原告に人命軽視の態度があったということができないのは明らかであり、その他、前示の各判断に照らしても、被告が主張するような人命軽視の態度を原告が示したとは認め難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三  争点3について

本件においては、本件処分の処分理由書である制裁処分書と題する書面に記載された理由(その大要は、争いのない事実7記載のとおり。)と本訴において被告が主張する処分理由及びその重点の置き方は、必ずしも一致せず、微妙な変遷を示しているところ、被告は、その原因は、被告には当初十分な資料がなく、本件火災の事実関係の解明には多大な困難が伴ったこと等によるものであると主張するが、右の事実は、当初の処分の根拠の薄弱性を窺わせるものであり、いずれにしても、前記認定事実によれば、被告が現在強調している火災時の報告義務違反についても、原告において十分な報告を行うことが望ましかったことは否定し難いとしても、これをもって直ちに原告に重大な報告義務違反があったというのは相当でなく、被告において、就業規則四七条七号所定の「第三十条から三十七条まで(服務規律、安全保持義務)、または三八条(非常の場合の報告及び救助等の義務)の規定に違反した場合であって、その事案が重篤なとき」(〈証拠略〉)に該当するとして本件処分を行ったのは相当ではないといわざるを得ない。

四  また、その他の被告主張の本件処分理由についても、いずれもその根拠を欠くことは前記判示のとおりであり、本件火災時の原告の行動に多少非難されるべき点があったとしても、前示の本件全事情を総合勘案すれば、いずれにしても、本件処分は、懲戒解雇の根拠を欠き、懲戒権、解雇権の濫用として無効というべきである。

五  以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、本件処分は無効であるから、原告と被告間には、なお雇用契約が存続しており、原告は、右雇用契約に基づき、被告に対し、少なくとも本件処分当時の賃金を引き続き請求できるものというべきであるから、雇用契約の存在確認及び賃金の支払を求める原告の本訴請求は理由がある。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 笠井昇 裁判官 菅野雅之 裁判官 渡邊正則)

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